
あきらめて人生が好転した経験をインタビューしています。
「あきらめるってどういうこと?」と思われたかたは、こちらのページをお読みください。
今回お話を伺ったのは、セールスコピーライターの丸田和明(まるた かずき)さんです。
徹底的なリサーチと分析をもとにした「売れる仕組みづくり」の専門家として、全国のお客さまの売り上げ拡大をサポートしています。
先日開催された単独セミナーでは、お申し込みが170名を超えるなど、若くして着実に実績を作り続けているセールスライターの一人。
また、専門学校の講師として週3日教壇に立ち、Webマーケティングの授業をしています。学生さんからの評判が良く、年間で10コマを担当されているそうです。
そんな丸田さんですが、独立する前に国立大学を中退されています。
「大学を中退して、フリーランスのセールスコピーライターとして活躍して、専門学生にWebマーケティングの授業をしています」なんて聞くと、なんだか好き放題生きているように見えますが…。
丸田さんのあきらめたことは「好きなことをやる」ことだそうです。
しかも「大学をやめて独立しよう」と決めるまでに、なんと2年もかかったとか!
丸田さんにとって「大学を中退して独立する」とは、どんなことを意味するのでしょうか?
そしてなぜ、丸田さんは好きなことをやるのをあきらめたのでしょうか?
セールスコピーライター 丸田和明プロフィール


セールスコピーライター / 専門学校講師 丸田和明
福岡県福岡市在住。
仮説を立ててひたすら検証するのが好きな、超マニアックでアカデミックな研究者体質。
子供時代に手作りのカードゲームを流行らせたことがきっかけで分析とリサーチに興味を持ち始め、大学時代は部員数一桁台のサークルの宣伝活動に関わり、新入生動員数を過去最大にする。
そんな中、大学を中退してセールスコピーライターとして独立。
徹底的なリサーチと分析をもとにした「売れる仕組みづくり」の専門家として、サービス設計〜販路拡大まで、多種多様な分野で売り上げ拡大をサポートしている。関わったサービスの累計売上は2億円以上。
他にも、専門学校の講師として、延べ300名を超える学生にWebマーケティングの授業をする。
趣味は映画、読書、麻雀、散歩、数学、ジンジャエールづくり。
守られた人生では、現実を見れば「あきらめ」を選ばざるを得なかった
えり どうぞよろしくお願いいたします!
さっそくですが、丸田さんって数学者になりたかったんですよね。どうしてあきめたんですか?
丸田 シンプルな理由で、「お金にならんだろう」って親から言われたからですね。その時に「そうか」と思って。
高校までは現実を見ずに、「自分がやりたいことをやるのが人生だ」って思っていたんですね。
でも、大学に行って卒業してっていうのを考えたときに、就職に有利なところに行くべきだし。
僕が高校生だった2013年ぐらいは、科学系の学部はそんなに需要がないっていうのもあって。
「卒業して就職できたとしても、手取りの少ないところとか、教員ぐらいしか選択肢がないよ」って言われていたので、「それはきついな」と思って。
なので、親の言う通りに従ってしまったというのが、数学者の道をあきらめたきっかけです。
えり 今でも、数学者になりたいって思うんですか?
丸田 そうですね。学者のあり方にもよると思いますが。
「なにかしらの収入の柱があれば、趣味でオンラインとかで勉強会とか開けるしな〜」と思うので。
そういうのはやりたいなって思います。
「好きなことをやるのが人生」と思っていた学生時代。初めて直面した現実
えり すっごい疑問なのですが、大学はけっこうさらっと辞めたんですか?
いわゆる、いい大学に入ってサークルでも部長として部員を増やして活躍していたのに、やめたのはどうしてですか?
丸田 一番は「いる意味がない」っていう理由です。
僕、建築学科に入ったんです。 親が建築関係なんで、それで勧められました。
「入ったら好きになれるかな」と思って。
でも、全然好きになれない。入学して半年後ぐらいに「もう、これ無理だ」って思いました。
その時まで「自分の好きなことをやるのが人生」って思い込んでいましたし、みんなもそういう価値観だと勝手に思っていて…。
建築学科にいる人は、将来は建築関係につきたい人か、そもそも建築が好きな人が来ているんだろうと思っていました。
僕一人だけ学校に行かなくて、ひどい時は教科書すら買ってなかったんです。
えり え?教科書、買ってなかったんですか。笑笑
丸田 買ってなかったです。もったいなさすぎて。
就職のために、大学に通う意味はあるのだろうか?
丸田 僕と同じクラスの人たちは、みんな教科書を買っているし、図書館から資料を借りてまで勉強していました。
だから、友達にカミングアウトしたんです。
「本当に申し訳ない。僕は全然、建築に興味なんかないんだよ」っていう話をして。
「本当にごめんね。みんなのモチベーションを下げて申し訳ない!」って話をしたら、その友達が「大学ってそんなもんだよ」って言ってきて…。
「今のクラスで建築が好きなんて人、たぶん1割もいないんじゃない? 7割は、まあどちらかというと就職とか、選択肢を増やすためにいるんだよ」っていう話を聞いて…。
「そんなバカな…」みたいな。
えり ははは。笑笑
丸田 僕は「人生は好きなことをやるべき」って本当に思っていたんだけど。
やりたくないことでも興味がないことでも、「とりあえず就職のためにやっておくか」っていう人たちがいることに気がついて。
「いや、そんなの絶対おかしい。」
「大学は無駄だ。いっそのことやめちゃえ」みたいなふうに思い立ったんですよね。
結局、やめたのは大学3年の後半だったんですけど。
自分の意思で生きる。2年間の葛藤を経て選んだ「あきらめ」
丸田 僕の親って厳しいんです。
大学をやめるなんて絶対に許されないだろうと思ってたから。
本当はやめたいけど、やめられない期間は2年ぐらい続きました。
えり 丸田さんが「やめたい」と伝えたけれど、ご両親がなかなか許してくれなかった。ということでしょうか?
丸田 僕の中で言うことができない。親に。
ただ、大学3年の終わりに近づいた時、「僕は親をすごい責めてるな」って気がついたんです。直接じゃないけど、心の中で。
「なんでこんなつまんねー大学に入れと言ってきたんだよあいつら。自分はもっとこういうところ行きたかったのに」って思ってたんですけど…。
大学3年の末ぐらいに、「ここで決断しないと、一生、僕は親の言いなりになってしまう」って危機感があって。
「大学をやめることにしました」って、事後報告しました。
「大学をやめたいと思います」だったら反対されるんですよ。
だから「やめることにしました」って過去形にしておけば、反発の余地はないだろうみたいな。
そういうふうにして、大学をやめたって感じです。
本当に恐れていたのは、守られてきた生き方をあきらめること
えり やめたいけどやめられない2年間、親御さんに言い出せなかったのはどうしてですか?
丸田 「親が怖かった」っていうのと…。
それにやめた後、なにをしたらいいのかもわからなかったので。
えり そうなんですね。大学をやめるときは、すでにセールスコピーライターとしてご活躍されてたんですか?
丸田 まだでしたが、ブログやインターネットのしくみを使えば収益化できるっていうのは知ってたんです。
だから「これに取り組めば、就職しなくても生きていけるんだな」っていう道筋は見えていました。


えり 2年モヤモヤした時期があって、決断したっていうのは…。なんだろう…。
一番は、親御さんの目を気にするのをあきらめたみたいなところがあるんですかね。
丸田 もともと就職したくないっていう思いはあったんですよね。
親からほめられるのをあきらめるとか…。
最悪、親から縁切られてもいいやって思ってたんで。
えり あ〜。そのぐらいのご決断で、伝えたんですね。
丸田 なんだろう。あきらめになるのか分からないんですけど…。
えり このブログでは「あきらめる」って表現をしていますが、「自分の人生を生きると決める」ことなんですよね。
「自分の意思で生きよう」って、決めた瞬間を集めているブログなんです。
私の感覚が「あきらめる」なんですよね。
もともと…というか今でも、人の目をすごい気にする人間なので。
自分の意思で生きようとすると、時には人の期待に応えられないことってあるじゃないですか。
だから私にとって「自分の人生を生きる」っていうのは、大切にしている「人の期待に応える」のを手放すことでもあるんです。
「人の期待に応える」ことを手放した時、私の場合は「あきらめた」という感覚になるんですよね。
あきらめるか。死を迎えるか。
えり 丸田さんが2年悩んで、親御さんに「大学をやめることにしました」って報告した時は、「自分の意思で生きよう」っていう感覚だったのかもしれないですね。
丸田 当時、僕はすごいせっぱ詰まってて…。思考回路が極端なところがあって、「就職したら僕は死ぬだろう」と思っていたんです。笑
えり 死ぬ?どういう意味ですか?
丸田 そのままの意味です。
「就職したら、追い詰められて自決をしてしまうだろう」みたいなことを思ってたんです。それぐらい「就職したくない」って気持ちが強くて…。
だから親に逆らわなければ、就職しろ的な話になるだろう。そうなると、死んでしまうだろうと。
「生きるためには就職はしない、そのためには親に逆らわなければならない」みたいな。ある種の生命維持みたいな理由がありましたね。
あとは、大学にはほとんど行ってなかったんで、一人で考える時間がすごいありました。
それで「生きるとはなにか?」って考えたんですけど。
「物質的に生きるか、精神的に生きるかの2つがそろって、初めて人って生きるんだ」って思ったんですよ。
えり え?大学生の時に、そんなこと思ってたんですか?笑
丸田 はい。笑
だから、死んでなお名前が残る人もいれば、生きているけど死んだ目をしてる人もいるわけじゃないですか。
じゃあ、僕はどっちが好きか?
「どっちか1つ選べ」って言われたら、たぶん「精神的に、情熱を選ぶ」だろうと。
それで仮に死んでしまったとしても、「名前というか存在が残ればいいな」と思っていたタイプだったので。
だから当時の考えとしては、「毎月の安定のために就職をするっていうのは、僕の中での死だな」って思ったんです。
「就職すると精神的に死んで、それからしばらくして物理的に死がくる」みたいな、感覚がありました。
「大学をやめることも、行動を起こしたり親に逆らうことも怖いけど、死ぬことと比べたら大したことではないな〜」みたいな。
えり あ〜。「これやらないと自分、死ぬ」って思ったらなんでもやりますよね。自分にとってハードルが高いことでも。
私は、水商売をやると決めたときはそんな感じでした。
当時は「実家には帰れない。でも、どこにも就職できない」と思い込んでいたので。
他に選択肢がない。「こっちを選ばないと死ぬ」みたいな感覚があると、ハードルが高くてもやるかもしれませんね。
丸田 選択肢が見えてなかったですね。その時は良くも悪くも。笑
えり ですね。それが「若い」とか言うんですかね。笑
自分の20代を振り返ると、選択肢は知らなかったなっていうのは感じます。
本当にやりたいことをやるために、好きなことをあきらめた
丸田 そういう意味では、いきなり好きなことをやろうとするのはあきらめました。
ずっと「好きなことをやるのが人生」だと思っていましたが。「長期的に好きなことをやるのであれば、短期的にはやらないといけないこともあるんだな」っていう…。
大学をやめた時に「学校のシステムって変だよね」っていうのは、僕の中であったんです。
だから、その時から「教育を変えたい」っていう思いがあって。それは今もあるんですけど。
僕、大学をやめて、いきなりコンサルタントみたいなのになろうと思ってたんですね。


えり なんのコンサルタントですか?
丸田 ビジネスを教える、とか。
あと、もともと数学者になりたくて、数学の参考書とかも作ろうとしていた時期がありました。
ただ、「丸田さんが教科書を作って、誰が見るの?」とか「大学をやめてコンサルタントになったとして、なんの知識があるの?」っていうのを、僕自身が言われていたんですよ。
「なにを教える?」「教える資格や正当性はどこにあるの?」って。
数学の参考書とかも、「大手がすでに市場をつくっている業界に、学歴なしがどうやって入っていくの?」って言われて。笑笑
えり 確かにそうですね。笑
丸田 おっしゃる通りだなと思って。
好きなことをやる前に、まずは実力をつくる修行期間が必要なんだなと思って。いきなり好きなことをやるっていうのはあきらめましたね。
ベテラン講師との差別化のポイントは「授業をなるべくしない」こと
えり 丸田さんって、専門学校で先生されていますよね。どんなことを考えながら授業をしているんですか?
丸田 オファーをいただいた時、まずは他の先生との差別化をすごい考えました。
いろんな先生がいらっしゃる中で、「授業っぽい授業をしたらダメだな」って思ったんです。
自分の周りの先生って、みんなもう年配の方とか、僕より年上の方がほとんどで。他の先生たちは僕より人生経験があるし、気遣いも、教えることにも長けている人たちなんですよね。
そんな中、僕が授業をやってしまうと比較されてダメ先生になっちゃうから、振り分けられたクラスが外れくじを引くのと同じになっちゃうじゃないですか。
そういうのを考えると、僕は「授業はなるべくしない」スタンスというか。
教えないといけない部分はあるけれど、「いかに授業感をなくすか」とか「生徒に寄り添ったことができるかな」っていうのを考えたんですよね
そこで思いついたのが、「なるべく短縮授業をやる」ことと「アンチ教育を掲げる」ことです。


えり アンチ教育を?生徒さんの前で掲げるんですか?
丸田 はい。生徒さんの前で「僕、教育嫌いなんで」みたいな。他にもいろいろ考えたことはあって…。
なんでアンチ教育を掲げるかっていうと、「教育」っていうシステムを仮想敵に置いてるんです。
仮想敵って「共通の敵を打ちのめそう!」っていうところで団結するじゃないですか。
それと同じで、僕が「学校のこういうルールとか、こういう常識ってなんか納得できないよね」っていうことを言っていくんです。
たとえば、「なんで野球部って坊主なの?坊主にしたところで実力が上がるわけないじゃん」って言うんです。そうすると頷いてもらえるんですね。
「こういうところがあるから、今の学校教育ってイマイチだよね」っていう話をすると、「教育」っていう常識とかルールが敵になる。「わかるわかる」みたいな共感を得られるんです。
えり セールスコピーと一緒ですね!
あきらめて切りひらく。一人一人が幸せに生きるための教育をつくりたい
えり これからの展望ってありますか?
丸田 やっぱり「教育を変えたい」っていうのは強くあります。
それも、ただ「変わりましょう」ではなくて。 自分の強みであるロジカルシンキングというか、数学から派生して「メタ認知」とかあるじゃないですか。
そういうものを使って、可能であれば「幸せとはなにか」っていうのを数式で表せたらいいんじゃないか、とか。
えり 楽しそうですね!
丸田 それも、統一されたものというよりかは、一人一人の。
「こういう公式にあてはめたら人生うまくいくんじゃないか」っていうのを、つくれる教育みたいなのができたらなあと思います。
えり 丸田さんって、コーチングとか向いてるかもしれないですよね。
丸田 そうですね。人に教えるのは向いてるとは、専門学校でやってても思ったりはするので。
えり それ、会話をしていて思いました
こっちの反応を見ながらしゃべってくださるじゃないですか。「ちゃんと理解してくれてるかなー」みたいな感じで。笑
丸田 でも学校では、しゃべりたいことをしゃべってますからね、ずっと。笑
えり それが生徒さんもいいんじゃないんですか?先生がやりたい放題やってくれるのが。
丸田 そうみたいですね。
「一番おもしろい話、なに?」って聞いたら「雑談」って返ってきますからね。
えり おもしろいですね。ありがとうございました!
大切な人と自分の尊重したいことが相入れない時。「自分の意思で生きる」と決め、実行する原動力とは
大学を中退し、セールスコピーライターとして、専門学校の先生として、ご活躍されている丸田さん。
今に行きつく過程では、「自分の意思を尊重して生きる」と決めるための葛藤を経験されていました。
「毎月の安定のために就職をするっていうのは、僕の中での死だ」とお話されていましたが。
丸田さんにとって「妥協したくないことが起きた時に妥協せざるを得ない未来」を迎えることは、死を意識してまでもあきらめるべきものだったんだなと感じます。
丸田さんって、すごい人思いというか、他人に対して誠実な人だと思うんです。
専門学校のご友人に対して、わざわざ「みんなのモチベーションを下げて申し訳ない」なんて謝ったり。
最終的に「大学をやめよう」と決めたきっかけも、親御さんを責めている自分に気がついたことだったり。
専門学校で他の先生との差別化を考えた理由も、「自分に振り分けられたクラスが外れくじを引かないように」だったり。
「自分が大切にしているものと同じように、相手が大切にしているものを大切にする」ということを、行動で表したい人なんだと思います。
ただ、お互いの大切にしていることを一致させられないことって、たま〜にありませんか?
そんな時、あなたはどこまで相手の思いや気持ちを尊重しますか?
相手が大切な人やお世話になった人であればあるほど、「相手の気持ちを尊重したい」と、誰もが強く思うでしょう。
だけど、「ここだけは100パーセント自分を意思を尊重しよう」と、決める時。
もしかしたらその決断は、一時的に、大切な人の思いを踏みにじったり傷つけたりするかもしれません。
そんなジレンマの中でも「自分の人生を生きる」と決断し、実行する原動力。
それは、死を。自分の命に限りがあることを、認識することかもしれません。
あなたも、あなたの大切な人も「今」この瞬間が有限であることを。
立ち止まって考えたことはありますか?
「今」が 刻一刻と過ぎ去っていく中、あなたはどんな生き方を選びますか?